ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

リサとの蜜月、大女と水中格闘

 たたきつけるような雨音で目覚めた大会当日、早朝5時。持ち込んだ米を炊き、具材なし、塩なしの握り飯7個を娘がつくった。いぼぢの薬レンシンを服用し、出陣。

 前日とはうってかわってハングリー。ハングリーとは腹が減ることではない。逆境、貧乏をバネにハードアタックする精神である。

 指定の駐車場に着いてすぐ下痢発動。トイレが見つからず、雨の中、1キロ近く悲痛なランニングをして公園のトイレに駆け込む。下痢はいぼぢに痛恨の一撃を与え、ずぶ濡れの泥まみれで痛みに耐えて便器にしがみつきながら、私は、ある壮絶な決意をした。

 尻の穴にテーピング。この悲哀きわまる光景が、まさか現実のものになろうとは。ハングリーとは腹が減ることではない。悲愴の中に呻吟する、祈りである。

 午前6時半、参加者を乗せてチャリコースの下見バスが出発。これに乗らないと、出場権を剥奪される厳しい措置。アスリートコース(スウィム750m+チャリ20キロ+ラン5キロ)の全参加者は44名と少ないのでバス一台でたりる。

 ライバルたちの顔がそろった。もちろん妻子といっしょに乗っているのは私だけである。ハングリーなわが家族は、タダのものは全部、使う。

 バスの揺れでいぼぢが疼く。高価ないぼぢ薬に散財し、アスリート用のサプリメントは今回は全面的にカット。ディーゼルエンジンの真上の、振動がきつい後部座席で、味のしない握り飯をむしゃむしゃ食いつづける私の目は、ハングリーを越えて獣の目である。

「おとーさん、あそこにすわっている人、有名な人みたいだよ」とワイフ。

 見ると、隣あってすわった初対面らしき男女が会話している。

「なんであなたみたいな(有名な)人が、こんな(小さな)大会に?」と女。有名人の隣にすわって舞いあがっているふうだが、「こんな(小さな)大会」とは、周りの出場者に失礼な物言いだ。

 なお、()の中の「有名な」と「小さな」という文字は、最近テレビニュースのインタビューのテロップなどでよく見る言葉の補完を、私もやってみた次第である。()の中に他人が勝手に言葉を入れるという流儀が、今後、どこまでメディアで許容されていくのか、行く末が楽しみである。

 ()の中に別の言葉を入れて、「あなたみたいな(だめな)人が、こんな(ヒップホップな)大会に」とか、「あなたみたいな(どう猛な)人が、こんな(卑猥な)大会に」など、新たな発見があり、味わい深い。

 さて(卑猥な)じゃなくて、(有名な)男の実際の返答は、

「いやぁ、最近、練習できてませんし・・」

 確かにこれが、だめ人間であれば、練習できていないのがあたりまえなので、「いやぁ、最近、練習できてませんし・・」とは言わないであろう。さすが有名人である。

 有名人といえば、女子でリサ・ステッグマイヤー女史が参加するという噂である。が、彼女はバスにはいない。

 大衆とまみれて、しらっとリサがバスにいたりしたら、カッコいいのにとワイフが残念がっていたが、まあ著名人なんてそんなものだろう。けっ、リサ、覚悟せよ。

 雨は降りつづく。

 チャリやトランジットの準備をし、開会式が終わると、すぐにプールに移動。

 試泳をしていると、水着のリサ・ステッグマイヤー登場。なんとも優雅で美しく効率的なフォームで泳ぐリサに怯む。過去のスウィムタイムは私よりはるかに速い。よし今日はもう完全に100%、リサと勝負だ。貧乏の、そして、いぼぢ持ちの庶民力を思い知らせてやる。覚悟せよ、リサ。

 競技説明では、プールのコースを折り返しながら1周回150mを5周。1周回するごとに輪ゴムを渡されるらしい。これが4本になったらプール横の出口から駆けおりて、チャリの方に行く設定とのこと。5周回なのになんで輪ゴム4本でいいんだ? と、文系の私は指を折りながら数えたりしているうちに、スタート5分前。

 ゼッケン番号順にプールサイドに並ばされる。

 なんと私はケツから4番。第2ウェーブで、10番スタートのリサよりも5分以上あとからスタートだ。

 午前9時。ゼッケン1番から5秒間隔で順次スタート。われわれ第2ウェーブが立ち尽くして見まもるなか、次々と先行の選手たちは輪ゴムをもらって2周回目に。この2周回目に入るとき、禁止されている飛び込みをする男がいた。しかしゴーグルが破損し、泣きそうになって立ち往生していた。頭にはアイアンマンのスウィムキャップ。なんなんだろう?

 やっとわれわれ第2ウェーブもプールに入ることが許された。

 ひとりずつマーシャルに肩を抑えられ、正確に5秒ごとに「はい、スタート!」と言って肩を解放される。サケの放流みたいだと思って見ているうちに、私の順序が来た。

 肩なんかつかまなくても、飛びだしゃぁしませんて、と思っていたが、視界の左手から妖艶な水着姿のリサ・ステッグマイヤーが走ってくるのが見えるや、私は牡牛のようにぐいぐいと前に進み、マーシャルは「まだ!」と言って、肩を抑える手に力を入れた。

 リサの美しい肢体がするりと私の隣にすべりこみ、優雅な2周回目へ。同時に私を抑えていた手が放され、解き放たれた獣牛はリサにむかって突進、並んで泳ぐ。ペース的にはかなり無理をしているが、自分を抑えられない。

 ああ、リサさん、リサさん、リサさぁああん、と水中の私の叫びは届いただろうか? お前、さっきまでリサに何て言ってた? なんてことは、もうこの際まったくもって霧散し、どこまでも権力に弱いだめっぷりを爆発。

 コースの往復をかさねるたびに、リサと体が触れる。これ、痴漢じゃないでしょかマジで、と反省しつつ、一応、競技をしているので、ターンするときはどうしても体がぶつかる。

 さすがに一度、きわどいタイミングだったので立ち止まったら、リサも立ち止まる。見つめあうふたり。私は手をだして言った。

「お先にどうぞ」

「はい、ありがとう」とリサ。

 ああ、リサと譲りあってしまったぁああと興奮していたが、じつは観客席でしっかり家族から目撃されていて、あとで「リサと会話してたでしょ。なに譲ってんのよ」と怒られた。

 2周回、約300メートルをリサと並んで泳いだ悦楽の6分間だったが、すべてハニーな内容だったわけではない。じつは後方で、再三にわたって私の足、そして決定的な弱点である敏感なお尻を激しくぶっ叩いてくるやつがいた。私が護衛よろしくリサと並んで泳いでいるので、抜けなくていらいらしているようだ。だんだん攻撃性がエスカレートしてきて、さすがにバタ足で撃退したりしてリサのため献身的に働いていたら、馬鹿みたいに疲れた。

 こやつ、黄色い帽子のガタイのいいやつで、2周回にわたって激しい一対一のバトルがつづき、いい加減、ケンカになるんじゃないかと思っていたら、ターンのとき、強引に私の頭をつかんで沈めてきたので、きゃつの桃尻をつかんで引きずりおろしてやったら女だった。

 正直、怯んだ。痴漢の経験のない私は、女の尻をがばっとグラブすることに慣れておらず、かなり罪悪感を感じ、弱気になりかけた。しかし黄色帽子の筋肉女は浮上しながら、すかさず私の顔をパンチ。ゴーグルがはずれかけた。

 もうぜったい譲ってやんない、し、しかもこんなツバゼリアイをやっているうちに、優雅なリサはじつにスマートにパスしながら3、4人先に行ってしまった。

 私のせっかくの蜜月を・・、もうぜったいぜったい許さんと思ってごりごりパドルしたら、やつめ抜きにかかってきた。ラインをふさいで抜かせないようにしたら、私の肘がもろに大女のアゴに決まった。

 は、はいった! ジャストミート! 告白するが、ボクシングの経験がない私にとっても、それはじつにうっとりするような完璧な感触であった。

 しかし、この大女にもけっきょく抜かれることになる。バトルは楽しいが、無駄なエネルギーを消耗することに気づき、リサもいなくなってしまったことだし、省エネ泳法に切り替えた。

 しかしほんとに馬鹿みたいに疲れた。

 さあ、ここからチャリである。

 

 

<span style="font-size:small;">写真:トランジットエリアは八尾町民広場。背景のおわらの景観が美しい。9月の風の盆の時期は、1週間にわたりこのあたり一帯が交通規制となる。</span>