ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

学校行きたくない

 朝からさめざめ娘が泣いている。
 妻は暗いうち始発で出勤し、すでにいない。ひとりで朝飯を食わせるような寂しい思いをさせてはならぬとつねづね思っているのだが、貧血卒倒してから、気合でうがーと跳ね起きる熱血起床法を禁じられてしまい、すっかり布団から抜けだすことができなくなってしまった。
 熱血起床法においては、跳ね起きたあとも、うがーと叫びつづけながら、ゴリラのように胸を叩いたり、ロボットみたいにかくっかくっと少林寺木人拳をやったり、逆立ちして血流を頭に集めたり、とにかく急激に心拍を高めてガソリンを脳に送り込む。
 貧血持ちはここまでやらないと自身を起動できないが、確かにこんなことをつづけていたら、遠からずこの世におさらばである。しかしやらないことには、たとえ無理に起きだしても、けっきょく文机(ふづくえ)でうつらうつら二時間も三時間も無駄にしてしまうので、もうあきらめてダメ人間に徹している。
「ごはん食べようよぉ」
「お、おう。ひ、ひとりで食うてくれ」
 自分でも信じられぬような言葉がでる。ほんとか、と脳の片隅にいる正常な自分が問いかける。でも起きられない。どうやっても起きられない。90%の脳に美しく赤い血液はまわっておらず、悪魔のような枯渇に支配されている。
「ぱーまぁー、起きてるんでしょう」
 哀切に訴える娘の声が聞こえる。「ぱーま」とは娘が僕を呼ぶ最近のトレンド用語である。いつも娘は僕の状態をかなり正確に分かっているようだった。起きているし、聞いている、でも体が動かないのだ。
 ふとんのかたわらにやってきた娘は、ついに泣きだした。
 やれやれ。脳の片隅の僕は決意をかためた。この肉体を貧血からイッキに取りもどす最後の手段。
「うらららららららぁあああ」
 ひさびさの熱血起床法がみごとにキマり、脳には洪水のごとく鮮血が流れ込み、潤い、活力が湧き出ずる。
「おぅおぅ、どウしたぁ?」
 なぜか<おひかえなすって>の姿勢で娘に居直ると、涙をぼろぼろこぼしながら、
「学校行きたくないよぅ」
「おぅおぅ」僕は吠えた。「よぅ言うたー! おとーしゃんもガッコ嫌いやったでぇ。よう正直に打ち明けてくれた。やっぱ親子やなあ」
 じつは、ちょっと感動していた。娘はほとんどこういうふうにはっきりとものを言わなかった。さめざめ泣くだけで、なかなか本音を言葉で言わないのだ。 
「学校はどしても行きたくないんやったら行かんでええけどな、けどこの不登校っちゅうカードは一度使ったら最後や。おまえは一生、不登校少女を起点にやっていかにゃならん。その覚悟があるか? せめて5年生ぐらいまではカード、とっといてもええんちゃうか? まだ若いのに、学校の何がいややねん。いややなーっていうシーンを思い浮かべてみ」
「給食・・」
 ちょっとここで腰折れ。学校嫌いにとって、給食とは一点のオアシスではないか。完全に理解を越えている。
「あのですね、給食の、どんなとこがいやなんだろう?」
 娘は下くちびるを、そうっと引っぱってみせた。巨大な口内炎。
 はは。そういうことね。
 下まで送ってやると、素直に娘は学校に行った。
 帰ってくるときは、完全にパワー全開で友だちとぐりぐりやっていた。