ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

気合療法

 日々泳ぎ走りペダルするアイヤンマーンへの修行も2年目になるが、さすがに日々の体調は小学生なみに改善された。20歳ぐらいから、胃炎をはじめ、いろいろ体の小さな不具合が出てくるようになっていたが、ここ1年は、胃弱だったことも忘れてしまうほどだ。養命酒ラッパ飲みの習慣もよいのかもしれない。

 ただそれでも半年に一度ぐらいは体調を崩す。1月にノロウイルスにやられたばかりだが、小春日和の3月のある日、悪寒を感じた。嫌な予感がしたが、アイヤンマーンとしてはけっして病気を認めたくない。その日、4km泳ぎ、85kmのチャリ、そして6kmのマラソンをした。

 かっかっか! 俺はチタンのハートを持つアイヤンマーン。いや、チタンマーンである。

 と、自信を回復しかけたところ、また悪寒が走った。

 咳も加わり、夜は体中の筋肉がぴりぴりした。発熱のときの症状だということを認めたくないので、筋肉痛と思い込むことにする。

 翌朝。今日は仕事で、都内にて3件の長丁場の打合せがある。都内に出るまでの1時間、電車の中で体中がぴりぴりし、眼窩が痛んだ。発熱時特有の症状であることを、ここでもあえて認めず、筋肉痛のせいにした。今から考えると目まで筋肉痛になるというのは、どう考えてもおかしなことだった。

 やはり打合せに入ると朦朧としはじめた。打合せが一件終わるごとに、テーブルの下で自分にしか分からない小さなジェスチャで気合と祈りを入れた。3件ぜんぶ終わったときは、ほとんど焦点が合わなくなっていたが、なんともいえぬ達成感が俺を突き動かした。それでも、これから満員電車に1時間詰め込まれて、娘を迎えに行き、夕食を調達して帰るのかと思うと、まるではるかアルプス越えをしてナチスの手から逃げようとしているユダヤ人の困難を背負ったような気分だった。

 しかし困難を推進力に変える人たちがこの世の中にはいる。彼らはアイヤンマーンと呼ばれる。苦痛を前進へのモチベーションに変え、大地を一歩蹴って踏みだすごとに、小さな前進の達成感をさらなるモチベーションに変換し、気の遠くなるような距離を走破するのだ。

 駅から駅へのひとつひとつが、じつに長かった。熱をだしていると、時間のたつのがすごく遅く感じる。五感が麻痺するかわりに、時間感覚みたいなものが活性化するみたいだ。

 降りる駅に着いたときの達成感! ただ電車に乗っているだけなのに、この達成感はなんなんだ! 激しい達成感に突き動かされた俺は、さらなる愉悦を求めてタクシー乗場をやりすごし、片道1.7kmの小学校への道すじを歩きはじめた。踏みだす一歩一歩をかみしめる。前進している。また達成感だ。一歩歩くごとに達成感。なんという福音であろう。

 こうして娘を回収し、また1.5kmの道のりを家まで帰った俺は、すでに恍惚さえ感じていた。ふだんは嫌でしかない最後の階段の一段一段さえもが、世界の罪、全人類の罪を背負ってゴルゴダの丘をのぼったイエスの足どりだった。頭の先から足のツメの先まで、不思議な電流がぴりぴりと流れていた。

 ふとんに入ってから、はじめて体温計を使った。やはり39度を越えていた。発熱時の鋭敏な時間感覚のおかげで1時間も寝ていないのに5時間ぐらい寝たような感じがした。(厳密には眠っていない。体が動かないだけで頭は覚醒している)

 このまま寝ると人は病気になるのだ。起きてみた。冷蔵庫に飲み物を取りに行っただけなのに、全身が激しい悪寒に包まれた。1回目の気合失敗。

 それから30分ぐらいだろうか(実際は数分かもしれない)、ワイフが仕事から帰ってきたのをいい機会に起きだした。今度は事前に体温を測り、気合で38度台まで熱が下がったことを確認していたので、自信があった。

「それってさあ、インフルエンザじゃないの?」ワイフが言った。

「インフルエンザの人間が走ってるか?」

 実際そのときの俺は悪寒を撃退するために足踏みマラソンをしていた。

「病気のときぐらい、おとなしくしてらんないの?」

「これさあ、俺の新しい学説でもあるんだけど、気合療法っていってさ、今日、歩いてて突然、思いついた」

 今、再起動してから3時間が経過。熱は38.2度まで低下した。悪寒はときどきするが、腕振りマラソンでしのぐ。とにかく頭脳がいつになく明敏。仕事をやっても、何をやっても、軍隊のように進む。

 さて、気合療法臨床試験、明日はどうなるか?