ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

おそらく2006年最後の初物

 午前2時5分である。12月27日、けっこうな年の瀬である。
 なぜか相模大野駅前のマンギャ・キャフェで、キーボードを打ちつつ、2006年を振り返っていたりする。
 仕事でTOKYOに出たのである。仕事に出たのは昼間であったが、例によって、夜になって酒を飲んだのである。そして例によって終電の時間が終わっていたのである。
 思うに、2005年まで、つまり35歳までの私ならば、このシチュエイションにおいては、何も考えずに朝までキャバレエで異国の女と歌い呆けていた。あるいは、それほど運が悪くなければ、朝まで近場の女とハッスル&フロウしていたものである。
 しかし、2006年年の瀬も押しせまった今、つまり、12月27日午前2時14分の今、36歳であるところの私は、ハッスルすることもなく、しみじみと2006年を述懐しながらマンギャ・キャフェでキーボードを打っている。
 2006年に私を激しい熱病におかした事柄について、しみじみと述懐しているのである。
 水彩画、水墨画、トライアスロン、マラソン、釣り、そして先日はじめたばかりのフライフィッシング
 この年に新しくはじめた(あるいは十数年ぶりにはじめた)これらのものたちがもたらした激しくカンタヴィレな熱情のために、私は仕事を失い、生活を失い、なかば家族、そしてみずからの人間性まで失いつつある。
 キーボードの横、つまり、今、私の右手の4インチばかり横には、シマノ社製の最高峰のディスクドラグ付きフライリールが、ブロンズの鈍い光を放って鎮座している。私はキーボードを打ちながら、ときどき、このリールを取り上げては、背もたれに身をもたせ、くるくるとハンドルをまわしてみたり、息を吹きかけてブロンズの肌ざわりを味わってみたりしている。
 このリールは、およそ13時間前、仏教徒の私に妻がクリスマスプレゼントとして贈ってくれた。さらに彼女は8フィート6インチのスコットランド製のフライロッドと、#5のフライライン、5Xのリーダーとフロロ・ティペットもいっしょに買ってくれた。
 そのせいもあって私の頭の中では、12月26日であるにもかかわらず、ずっとジングルベルが鳴りつづけ、陽気な赤い鼻のトナカイがシャンシャンと走りまわっていたのである。
 終電がなくなって途方にくれた私が、つまり、マス釣りにうつつを抜かすあまりに本年、キャバレエへの投資を怠ったがために行き場がないことに気づいた私は、雨はざあざあ降る年の瀬の都心で、知る限り泊めてくれそうな近場の女に、藁にもすがる思いで「メリークリスマス!」と携帯メールを送ってみたのだが、返ってきたのは「クリスマスはもう終わってます」という、つれない返事であった。
 2005年の私なら、ここで、ためらうことなくハイヤにとび乗ったであろう。乗ってから行き先を決めたであろう。しかし、2006年の私は、マス釣りにうつつを抜かしすぎたがために、ハイヤに乗る金もなければ、行くあてもなかった。
 かろうじて相模大野までたどり着いた。ツケで飲ませてくれそうなキャバレエで朝まで過ごそうと思ったら、知っている店はぜんぶ終わっていた。
 かくなる上は、着払い、つまり、いくらかかるか知らぬが、ともかく家に着いたときに妻に料金を払ってもらう、ろくでなしの道を選ぼうとタクシ乗り場に行ったが、そこは長蛇の列。ざんざんと降る雨。
 携帯電話を見るとメイルが入っていた。
「明日はすごく天気がよくなるみたい。釣りには最高だね」妻からであった。
 私はポケットに手を入れて真新しいフライリールに触れ、タクシの列を離れた。そのままネオンの光に吸い込まれるようにあやしげなエントランスをくぐった。
 生まれてはじめての、マンギャ・キャフェ、2006年最後であろう初物と、こうして邂逅した。5時間1000円。
 明日、いや今日はマス釣りに行こう。