ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

自分予報をしよう

11月になった。
 記録マニアなので、新しい統計の試みをはじめようと思う。
 これまでの人生前半を大きく分けて、前半と後半に細分すると、境目が大学入学あたりに来る。出生から高校卒業までの前半の前半期、つまり人生の第一四半期は総じて長い鬱の状態にあったといえる。はっきりいうと暗かった。すごく暗かった。熱帯魚とアニメと鉄道に明け暮れ、朝も夜もゲームばかり。ウソって思うでしょう。高校のときの同級生に訊いてみると分かる。誰も僕のことは「覚えがない」と言うはず。そりゃそうだ。学校にあんまり行ってない。今でいうヒキコモリのフロントランナーである。
 一年の浪人を経て大学入学から爆発。何かが爆発。それまであまりに抑圧しすぎたんだろうか。入学式から一週間ぶっつづけで学友の寮を転々とし、はじめての無断外泊。つまり、最初の授業もサークルも一週間は入学式のスーツのままだった。酒を覚えたのもいけなかった。それまで一滴も飲んだことがなかった。爆発した。
 ドラクエのモンスターと戦う以外は勝負ごとに疎かったが、先輩の指導に素直な僕は、まもなくイッキを制した。吐くときと同じ形で飲む。口の形、喉の形、食道の形、胃の形。口から胃までを一本のバイパスにする。グラスに口をつける前に、一瞬、おえっと吐く想像をして形をつくる。そのまま流す。これだけで、どこの大学の道場破りをしても負けなかった。ジョッキ0.7秒。いくら飲んでも吐くのも簡単だ。飲むときの反対をすればいい。すべては形だ。
 そんなわけで酒に明け暮れ、オートバイを知り、気合系、吠え系、突っ走り系の青春。この第二四半期は激しい起伏をショートサイクルでくり返しながらも総じて長い躁状態といえるだろう。現在の妻、かよぼんが見たのはその最たる全盛期、光眩くて直視できなかったと、のちに語っているが、ほんとであろう。
 人生後半戦の前後から、ちょっとずつ世界と和解しはじめた。ただ周期的に躁と鬱をくり返す。躁が7割、鬱は1割、平常2割。高回転型の旧式レーシングマシンみたいなものだ。*1人から見るとハイテンションに見えるかもしれないが、少し回転を落とすとエンジンが止まってしまうから、それぐらいでちょうどいいんだと思う。鬱は鬱で、あまりにひどいと生きていく気力もなくなっちゃうが、そこまで行くのは最近ではほとんどなく、読書三昧で切り抜ける技法習慣を身につけてからは、かえって鬱は生産性にとって必要なものだと思うようになった。ふだんは本なんか読んでられない、というより、じっとしていられないのだ。
 この周期性をつかんだら、より効果的に生産性をアップできるのではないかと思いたった。
 むむ、このグラフの変化、これはちょっと危ないですねぇ、大型の台風が発生しそうです、とか、自分予報ができたらおもしろそうだ。予報がはずれたらデータに組み入れ、将来の精度アップをはかる。さらに三年、五年の大きな周期がグラフで視覚化できれば、人生の勝負の賭けどきとか、撤退タイミングとか、長期自分予報も可能かも。
 なんていっても、まずは地道なデータ集めが必要なので、次のような簡単な基準を考えてみた。
 ・縦軸の最高値は120、最低値は-20。
 ・100をもっとも理想的な躁状態とし、120は過熱しすぎで体が持たないレベルとする。
 ・0は気力ゼロの状態。
 ・縦軸の下限は-20とする。これは生きていく力も残っていない危険レベル。
 このグラフの画期的な点は、赤い線で表示された縦軸値100が理想状態*2で、120はテンション高過ぎでかえってマイナス評価である点だ。オートバイのタコメーターと同じ原理。僕の場合、パワーバンドは80から100。せいぜい105まで。120は体調を崩して失速。反対に50以下は馬力が出ていない状態。最低でも70はキープしたい。
 というわけで、なんだかずいぶん直感的でアバウトだが、とりあえずグラフを積みかさねていってみよう。
日々の生活評価

*1:『レーシングマンの半生』参照

*2:たとえば朝日とともに起床し、チャリで石垣山を登坂してから家族で朝食、ふたりを送りだしてから業務開始。昼休みに1.5km泳ぎ、午後業務。娘が小学校から帰ってきたら買い物。よい食材を買うことに成功し、テンポよく料理をキメて、夜は執筆。勤務帰りのワイフを駅まで迎えに行き、夜更かしせずに就寝する。これに夜伽も旺盛で怠るところなければ理想域であるが、現実的には、今日は実にカンペキな一日だったのしと思えたら100とする