ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

塩を食う

小田原生活も3ヶ月目になる。
 初期同化を終えて安定期に入っているが、3週間前ぐらいからつづいている昼夜逆転の生活からなかなか脱せずに苦労している。なんとか徹夜をせずに夜眠るようになったが、睡眠の質が悪く、日中もしじゅう眠い。昼寝をすると延々と眠ってしまうので、アメリカのITオフィスのようにデスク下で寝袋にまるまって仮眠するようにしているが、それでも、しゃきっと起きてさあやるぞ、とはなかなかならない。
 徹夜は徹夜でデスクワークがはかどったのでメリットがあった。日中は何かと家事や雑務があって、ゆっくりデスクに向かえないのだ。小田原移住前のように4〜5時間の質の高い睡眠で日中はばしっと活動できる状態にもどしたいと切に思っている。
 寝ると別人格。起こすなら命がけ。
 今や娘もワイフもそう信じてひどく怖れている。実際、絶対起こしてくれと頼んでおいて、いざ朝になると寝ぼけたまま罵声を飛ばし娘を泣かしたことも一度や二度ではない。近づくと危険だから、水鉄砲で起こす作戦も考えた。寝る前に娘に、
「頼むからこれで俺を撃ってくれ。撃ったらすぐ逃げて、起きなかったら、また遠くから撃つんだよ」
 いやいやをする娘に、
「お父さんのためにやってくれ。どんなひどいことを言われても撃ちつづけるんだ。たのんだぞ」
 しかしこれも、だめだった。
「かわいそうで、できなかった」
 この朝の俺はちょっと撃たれるや、あひーと言って枕をかき抱いてもんどりうち、父は今、重い病で床に伏しておる、だのに、いかなる理由をもってお前はかような悪鬼のごとき所業をばなすか、ほとけの慈悲をしらんか、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おやっと嘘八百の時代がかった泣き落としで娘に懇願したのだという。そしてすっかり寝坊してから、どうして起こしてくれないかったんだ? となる。だから今や誰も寝ている俺に触れようとはしない。
 逆に、うまく起こすことに成功したときなどは、ついさっきまでの横柄で口汚い別人格は霧散し、ありがとうありがとう、ぼくたちはあいつに打ち勝ったんだ、あのいやらしい別人格(ケモノ)に、といって手を握る。はたで見ていたワイフがつぶやいた。
「ほんとにビョーキかも」
 別人格とはいっても完全な別人格ではなく、そうなっているときの記憶は残っている。このまま眠っていられるのなら何もいらないという幸福感に包まれていて、眠りを妨げるものに対してケモノのように激しい憎悪と攻撃性を抱く。障害を撃退したあとは、満足と幸福とで美しい光が射しこむ。だからそのときは、利己的な正義感に忠実に従って敵を撃退しているだけなのであって、ケダモノにはケダモノのスジというものがあって、内面からの改造は難しいように思う。
 そもそも朝起きられないなんて悩みは人に打ち明けられるものではない。こんじょがない。だらけてるでおしまいである。そして俺のような主夫稼業、自宅勤務の場合は致命的でもある。しかし同時に俺はこの自分の状態を、ただのこんじょでは解決しないとも思いはじめてもいる。どんなに苛烈な決意をしたところで、別人格が鼻で笑うんだから。
 今の流行ではあるが、俺はこれを病気ではないかと疑うようになった。病気のせいにすればラクなもんである。よし病気のせいにしてやろう。
 タイミングよく新聞の健康欄にこんな記事がでていた。低血圧症は高血圧ほどに実害がないので軽んじられてきたが、目まいや貧血、朝起きられない低血圧症について、ひとつの症例として認知を広めていこうという動きがあるとのこと。
 中学二年のとき、はじめて全校集会中に倒れて以来、俺はちまたによくいる、人が集まる場所でとつぜん倒れるやつになった。塾の帰りに松戸駅のホームで倒れて駅長室にかつぎこまれたり、大学生になってからは胃炎、逆流性食道炎といった内蔵系の慢性的な不調に見舞われ、あいかわらず駅で学校で職場でトイレで、倒れつづけた。小田原に越してからも一回ある。あまりに目まいがひどくて気密性の高い新幹線に乗れる自信がなく、各駅停車に乗り、各駅ごとにホームに降りてベンチに横になりながら5時間かけて帰った。
 具体的な対策を考えるために、まずは血圧を測るべきである。それは新聞にも書いてあった。目まいのするタイミングや、朝、夜の自分の血圧を知ること。何ごとにおいても異常な計測マニアの俺が、ただ血圧に関しては測定していないのには、じつは理由がある。血圧計を腕にまきつけただけで貧血症状を起こしてしまうのである。腕を締められて血管がぴくぴくという感触がだめらしい。測定を何度も断念した。献血したときに、本気で気絶したという経験もある。
 自分は低血圧症であるという仮定のもとに新聞に書いてあった対処法のひとつを試すことにした。
 塩分を多めにとる。よしや。毎日、塩を食おう。