ハード・ロハス

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結婚10周年記念日。で、粗大ごみ

 結婚記念日である。ワイフからのメールによると10周年だそうである。「13日の金曜日」ではあるが、ともかく、私とワイフにとっては結婚10周年記念日である。
 なぜそれをメールで知るかというと、会話をする時間がないほど、ワイフが始発終電の都内への勤務体制をしいているからである。そして10周年の結婚記念日もあと数時間を残すとなった今、私は酔っぱらってこれを書いている。
 なぜ酔っぱらっているかというと、地元の居酒屋で見知らぬ人々に祝福され、酒をふるまわれたからである。結婚記念日に小学生の娘とふたりで酒を飲んでいた男に、小田原のあらくれ者たちは、惜しみないシンパシーのエールをおくってくれた。
 ワイフのメールには、こんな記述もあった。題は「結婚記念日」。
「今まで以上に緊張感をもって臨むので、どうか有料粗大ごみで捨てないでね」
 記述の内容云々よりも私が注目したのは、「粗大ごみ」に加えられた「有料」という文字である。
 つね日ごろ、ごみの出しかたの粗雑さについて、つねづね私はワイフに注意を促してきた。小田原に住んでいると、都会とちがってごみだしは厳粛な行事である。分別は詳細をきわめ、ひとたびごみ出しを失念すれば、一ヶ月は悶々と悔悟に苛(さいな)まれることになる。
 粗大ごみは捨てればいいものではなく、きわめて高額な代償を支払わされる。つまり、捨てるのも、たいへんってことだ。
 ワイフの潜在意識に、捨てるのもコストだという意識が芽生えたのはよろこばしいことだ。
 しかし、結婚10周年記念日に喜んでいる場合ではない。
 かつては私は、多くの日本男児がそうであったように、ことイベントに関しては、家庭をかえりみない男であった。今日のこともワイフからのメールで知った。
 しかし知ってしまった以上、今、立場がかわって主夫として待つ立場になってみると、今までどうでもよかった記念日であるにもかかわらず、まことに、まことに腹だたしくなっているのだる。
 ワイフは同じメールの中に、記念日に家に帰れない理由として、次のようにも書いていた。
「今日はロベルトさん(※注・イタリア人の上司)の送別会(第一弾)なので、残念だけど遅くなっちゃいます。昨日の吉野家も最高だったけど、今日もせっかくだからどこかで食べて来てもいいかもしれないね」
 有料粗大ごみと、大見えをきったわりには、なんという軽々しい物言いであろう。
「昨日の吉野家」というのは、4年生になって学校の時間割編成が変わった娘のスウィミングスクールの時間調整交渉で午後9時前まで走りまわり、やむなく吉野家で晩飯を済ませた私と娘が、ワイフのための「おみやげ」として買ってかえった牛丼のことである。
 それに、「第一弾」のはずのロベルトさんの送別会だが、ロベルトさんが送別会でもらったものをワイフが譲り受けたという花束が、うちのキッチンに放置されている。ロベルトさんの「第一弾の送別会」がいったい何回とりおこなわれるのかは知らないが、私ができたのは、とりあえずその巨大な花束を水洗便器にいけるという、ささやかな抗議行動(レジスタンス)ぐらいであった。
 とかく日本では主婦の立場が弱いとされるが、もと荒くれ亭主だった私は、今身をもって世の中の荒くれ夫たちに言いたい。
 結婚記念日は、ちゃんと早く帰ったほうがいいですよ。
 もちろん大人の主夫である私はワイフをこころよく許すつもりである。ちまたでは結婚10周年は、すいーとてん、とかいうダイヤモンドを主婦に買うならわしがあるそうだが、そこは私も男である。ダイヤモンドを買えとはいわない。が、フライロッドぐらいは買ってもらおう。というか、さっき買ってしまった。
 翌月にも、7万2千円の請求書がワイフに送られるであろう。
 わはは! すいーとてん。


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