ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

馬鹿とはさみ

 娘がインフルエンザにかかった。
 きのうの朝がた泣きながら「風邪ひいたみたい」と言っていたのを、弱気がもたらす仮病ときめつけ、学校に行かせたのだった。今年に入ってはじめて仕事の打合せで都心に出る日だった。娘は僕が都内に出ると極度の不安に陥る。8歳にもなろうとしているのに、留守番ができない。2日ぐらい前からナーバスになる。仮病もそのせいだと思っていた。
「ちょっと熱あるみたい」
 出勤支度を終えて娘の額に手をやったワイフが言った。
「うそ。ついさっきはなかったぞ」
 子どもは思い込みで病気になれる。甘い顔をしたら癖になると思った。月にたった1度か2度の外出日。ただでさえ最低限に抑えているのに、仕事をやめないかぎり、これ以上は無理だった。
 新幹線の中で、インフルエンザだったらどうしよう、とワイフが言った。
「そうやって甘やかすから、仮病になる」と叱った。
 しかし、娘と同じ班のうち3人がインフルエンザにかかっていた。
 ちょっと気になって、早めに切り上げて都心から舞い戻り、駅前のスーパーで食材を買って帰った。
 学校から帰ってきた娘は元気だった。やっぱり思い込み病か。念のため体温計をだした。38度あった。
 寝かせとけばいいと思ったが、朝がた仮病と決めつけて娘と妻を叱ったうしろめたさもあって病院に連れていった。
 検査の結果、インフルエンザだった。
 まだ元気だったが、帰ってタミフルを飲み横にさせてから急速に悪化し、40度の熱がでて、ふとんの上で吐いた。眠っていても高熱で何度もうなされ、手足が震えていた。手を包んでやると、不思議とおさまった。そうしているうちに9時過ぎになり、ワイフが帰ってきた。
 不覚を詫びた。彼女は、朝は症状が軽かったし、しかたなかったと思うと言った。学校の友だちにうつっていなければいいが。
 夜中、何度もうなされて起きる娘をワイフがずっと看病していたようだった。
 先日、娘が描いた絵がある。僕が絵を描いていると、膝のあいだにすわって、いつまでも飽きずに見ている。こちらは重さでいい加減に足がしびれてくる。追いやろうと、お前も何か描け、と言ったら、富士山の絵を描いてきた。僕の絵を真似しているのだった。
「富士山なんか見たのか? 見てないのに描くなよ」
 見たものを描く方がいいと言ったら、エアコンとか、ビデオデッキとか、そんなものを几帳面な線で描いてきた。ラフなタッチの僕の絵とはまったく違う線で描かれた家電製品は、どれも娘の目に見えている現実の、おもしろい絵だった。
 はさみを描いた絵がかわいらしかったので、思わず「馬鹿とはさみは使いよう、っていうけど」と添え字してみた。意味はなかったが、今こうして眺めていると、なんのことはない、自分のことだったなと思う。