ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

酒好きと判明したワイフのアッシーになりさがってみる

気合で無茶やら無理やらをすることから解放しよう元年の2006年、まずおのれの酒遍歴を省みてみた。
 年末の顔面骨折を含め、これまで救急車には二度乗ったことがあるが、二度とも酒がからんでいる。歯を合計三本折っているが、いずれも酒。
 冷静に考えてみた。
 昔から家ではまったく酒を飲まない。ひとりでは飲まない。しかし大の酒好きと思われているので贈り物で酒をもらったりするが、たいがいは別の人にあげてしまう。来客にふるまって余った缶ビールは、そのまま半年も冷蔵庫で眠っている。僕はほんとうに酒が好きなんだろうか?
 テーブルの上に、オレンジジュースとビールが置いてある。ビールのかわりに日本酒でもいい。
 純粋にどちらを飲みたいと問われれば、10のシチュエーションがあったとしても10回とも間違いなくオレンジジュースを選ぶ。ここでアルコールを選ぶ人が、たぶん酒好きというのだろう。驚くべきことに、この設問においてワイフは酒を選ぶと言った。酒好きだったのか。はじめて知った。
 なぜ気づかなかったのか?
 これまで僕は酒といえば妥協することなく「痛飲」に徹していたからである。痛いほど飲み、飲みすぎて痛い。痛みを感じるほど愛していると信じていたから、他人の弱飲みを鼻から馬鹿にしていた。愚かなことである。
 もうひとつ。わが家系は惜しみなく酒豪を生み出してきた。死因のナンバーワンは酒に起因する。父親も実弟も無類の酒好きであるが、そのなかにあって酒の飲み方の非道さでは僕は家系の中でも群を抜いている。だから疑うことなく自分が酒好きだと思っていたのだが、この正月に父親と弟が晩酌愛好者と知り、決定的な違いに気づいたのだった。
 人のいないところで僕は酒を飲まない。
 相手という相手を溶鉱炉の中に放り込み、互いの絆やら信条やらを精練するような、酒席のそんなハチャメチャさが好きなのであって、酒自体はどうでもいいのかもしれない。考えてみれば中学、高校のときは、人さえいればアルコールなしでも夜っぴいてハチャメチャしていたものだ。
 なるほど、脳内アルコールとでもいうべきホルモン「エンドルフィン」を生成し制御することができれば、酒の力を借りなくてもよいのではないかと思いあたり、さっそく実践してみることに。
 日が暮れてから、ワイフとクルマで飲みに行った。
 熱燗(あつかん)を、くんくん飲み干すワイフ。これは確かに酒好きである。僕はご飯とオレンジジュース。別に我慢しているわけでなく、心をぽかんとして、気張らずに純粋にしたいことをしようと肩の力を抜くと、オレンジジュースに手が伸びるのだった。
 そういえば、いちばん好きな酒はスクリュードライバーだった。オレンジジュースとウォッカを混ぜたこのカクテル、ウォッカを入れなければなお旨いのにと思ったこともあった。
 アルコールは嫌いではない。しかしそんなに好きでもない。少なくともオレンジジュースに比べれば。
 革命的な発見。
 酔っぱらったワイフを後部座席にのせ、インプレッサを運転して帰った。ジーパンの尻を半分ずりさげて眠りこけているワイフを見て、なるほどこれは酒好きであるなあ、と実感したのだった。