ハード・ロハス

スロウライフ・スピードスタイル

皆勤賞レース、脱落

昨晩、娘が熱をだした。39.5度。
 今朝になって少し下がったものの、病院につれていくことにした。小学校を入学してからの皆勤賞は2年生の2学期後半で終わった。彼女もすごく残念そうだった。
 僕は自分が極度の学校嫌いで、今でいう不登校の先駆者だったことから、娘の入学直後からスキさえあれば「ガッコなんて休んじゃって、どっか行くべ」とか「勉強やめやめ。だいたいおまえは勉強しすぎじゃ。そんな勉強ばっかしてるとマジでアホになるぞ。ダチと遊んでこい」と諭(さと)してきたのだが、親がそうだと子どもはやはり反対の方向にむかっていくらしく、もう信じられぬぐらいにマジメで勉強家で危惧するほどである。
 都会の学校では小学2年のなかばにして皆勤賞レースはわずか2人に絞られていたが(インフルエンザ特例を除く。今の小学校はインフルエンザによる欠席は欠席カウントしないようだ)、さすが小田原の小学校では病欠がきわめて少なく、クラスに5人ほどいるという。
 朝8時半にインプレッサSTiで小児科に行ったが、風邪のはやるこの季節にしては信じれぬことに、誰も他の患者はいなくて、すすっと診察は終わり、9時には薬局での処方まで完了していた。
 都会の小児科は朝6時から電話の自動予約レースがはじまる。電話がなかなかつながらず、10分遅れただけで、順番はとんでもなく後になる。娘が小学校に入る前に一度、急患として予約なしで行って「電話予約してからもう一度来てください」と受付の看護婦に言われ、細君がその場で大暴れしてネジこんだという苦い思い出もあるぐらいだ。
「6年生まで皆勤賞やりたかった」
 と、やはり多少はショックを受けているらしき娘に、
「よかよか。これでこれからは気楽にサボれるってもんよ。記念に漁港にうまいもの食いにいくべ。かーしゃんにはナイショやで」
 しかし漁港に着いてクルマを停めると、父親の享楽的な不真面目さに不安になったのか、おなかが減ってないと言いだした。しかたなく帰った。
「メシ食わんと、クスリものめんで」
 そう言いつつ、じつは僕もかなり体調がおかしかった。これまでの経験上、娘と僕はいつも病気が同期する。体質がいっしょなのだ。対して細君が感染することはない。反対に細君がかかる病気には僕と娘は罹患しない。
 娘のクスリを分けてもらって、いっしょに飲んだ。